燕市 福来亭本店 燕背脂ラーメンはこの店から始まった。

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今や県内のみならず全国にもその名が知れ渡るまでとなった『燕背脂ラーメン』。

雑誌やテレビでもよく紹介され、県外からわざわざこの味を求めて燕市を訪れる人も多く、休日はお店の外まで行列ができるほどの大人気となっています。

最近ではよく背脂ラーメンが「燕三条系」と言われていますが、正しく言うなら背脂ラーメンは「燕系」です。なぜなら三条市はもともと背脂ラーメンではありませんし、背脂ラーメンの発祥は燕市だからです。

そして「背脂ラーメン」という呼び名も地元ではなかなか見かけないもので、燕市では「中華」とか「中華そば」と呼ばれています。燕で中華と言えば背脂が入っているのが当たり前なのです。

また、背脂の量についても独自の呼び方があります。

  • 多め  → 大油 (おおあぶら)
  • 普通  → 中油 (ちゅうあぶら)
  • 少な目 → 小油 (しょうあぶら)
  • なし  → 油なし (あぶらなし)

例えば背脂多めのラーメンが食べたかったら「中華 大油」で通じますよ。

私は燕市の隣りにある三条市で生まれ育ちましたが、子供の頃(かれこれ40年ほど前になりますか…)夏に海へ行った帰りに親がよく連れて行ってくれた、太いラーメンが強烈に印象に残っているお店があります。

それが今や押しも押されもせぬ、燕背脂ラーメンの横綱的存在となった『杭州飯店』。

海で遊び疲れた体に塩分と油の多いふっといラーメンがとても美味しかったのを、子供ながらに記憶しています。

この『杭州飯店』の前店主【徐勝二(じょ・かつじ)】さんのお父さんで、『福来亭本店』の創始者【徐昌星(じょ・しょうせい)】さんこそが燕背脂ラーメンの生みの親なんです。

昌星さんは中国から出稼ぎのため来日し、炭坑で働いていましたが体調を崩して上京。その後仙台でラーメン屋を開いて成功していた中国出身の先輩のもとで修業し、先輩から借りた屋台を引きながら東北各地を渡り歩き新潟へやって来ました。

仲間から「燕は工業地帯で景気がいい」と聞いた昌星さんは、昭和7年に燕市中央通りに屋台を構えて営業を始めます。この当時のラーメンは細麺にあっさりスープだったそうです。

ではなぜ細麺あっさりスープが、今の様な太麺こってり背脂スープになったのでしょう?

翌年の昭和8年、昌星さんは燕駅から真っすぐきた通りにある「穀町」というところに店舗を構えます。これが『福来亭本店』でこの店から燕背脂ラーメンは生まれます。

この頃の燕市は洋食器を製造する事業所の数が倍増し、それに伴い工場で働く職工さん達の数も多くなっていました。そしてラーメンの出前もどんどん増えていきます。

そんな中、職工さん達から「力仕事で毎日大量の汗をかくので、もっと味をしょっぱくして欲しい」との要望が。

昌星さんはその声に応えるべく考えました。「ただしょっぱくしただけでは味わいが足りない、なんとかして美味しいラーメンを届けたい」と。

そんなある日、チャーシュー用の肉を買いに行った肉屋さんで昌星さんはヒラメキます。「脂肉から作られたラードをラーメンに入れてみてはどうだろう?」

中国では一般家庭でも料理にラードを使うそうで、ラードは甘みが出ることを知っていた昌星さんは煮干しとのバランスを考え試行錯誤します。そしてしょっぱくても甘みのあるまろやかな美味しい背脂スープが完成します。

またラード(背脂)を使ったことによりスープに油のふたができ、出前でも冷めにくいという利点もあり一石二鳥でした。

また昭和39年に息子の勝二さんが福来亭で働き始めた頃は高度経済成長期の好景気。燕の工場も大忙しで出前だけでも1日800杯となっていました。

これでは届けるまでにどうしても麺が伸びてしまう、そこで粉の種類を変えてみたり麺の太さもこれまた試行錯誤の繰り返し。そして出前でも伸びにくい今のような太麺にたどり着きました。

この太麺も忙しくてなかなか食事をとることができない職工さんたちにとっては腹持ちがよく、これまた一石二鳥となりました。

こうして個性的な特徴のある「太麺・背脂・煮干しダシ」の燕背脂ラーメンは誕生したのです。

その後も徐さん親子は美味しいラーメンにこだわり研究を続け、燕背脂ラーメンは80年もの間進化し続け今に至っています。

燕市穀町にあります、現在の福来亭本店です。(写真中央) この小さなお店から、燕背脂ラーメンの歴史は始まりました。

昌星さんの長女で勝二さんの姉であるミドリさんがお店を続けて来られましたが、2007年7月に地元の方々に惜しまれつつ閉店しました。

今や全国的にも有名になった、背脂ラーメンの超人気店『杭州飯店』は、本格中華料理専門店として昌星さんが開店した福来亭の2号店です。

いつかもうひとつ店が持てるようになったら出身地の近く、杭州市を店名に入れたいという昌星さんの夢が叶ったお店です。

中華料理よりラーメンを注文するお客さんが多くなったため、今ではラーメン店となっています。現在は勝二さんの息子さん(直幸さん)が店主をされています。

燕市には福来亭直系の杭州飯店の他にも、背脂ラーメンを食べられるお店がたくさんあります。

これは昌星さんが「自分だけの味にするのではなく、みんなでうまいものを作って行こう」という考え方から他の飲食店にも門戸を開き、気前よく福来亭のラーメンの作り方を教えていたからだそうです。

福来亭のラーメンをもとにそれぞれのお店が自分の味を追求し個性を競うことで、燕にはラーメン屋さんが増えていったそうです。

燕市で人気店となっている「大むら食堂」や「まつや食堂」も昌星さんから背脂ラーメンの技術をを教わり習得したお店です。

加茂市にも杭州飯店で10年修行し独立された方が開いたお店「成龍」という行列店があります。

隣りの三条市にも昔から背脂の入った中華そばを出しているお店が何軒かありますが、これも福来亭本店の徐昌星さんが経営していた本町の「福来亭三条店」を、三条市内の精肉店に譲渡したことからだそうです。

三条市の背脂ラーメン店について簡単にまとめますと・・・

【ラーメン いこい食堂 (林町)】

元々精肉店が経営していたラーメン屋。初めは背脂ラーメンではなかったが、精肉店の3人兄弟のうちのひとりが分水の中華亭(こちらも燕の福来亭本店で修業した店)で修業し、背脂ラーメンを習得。それを弟2人に伝授。

【福来亭三条店 (本町・本寺小路)】閉店

精肉店の息子さんのうち、弟2人がここで働く。

【中華亭 (西裏館)】

福来亭三条店よりひとりが独立し開店。

【龍華亭 (須頃)】

残るひとりが福来亭三条店を閉店しこちらを開店。

と、このようになりまして「いこい食堂」「中華亭」「龍華亭」は御兄弟だったんです。どちらも三条では背脂ラーメンのおいしい有名店として人気があります。

以上、掘り下げてみると長い歴史と、奥の深い燕背脂ラーメンでした。



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